こういうちょっと批判的な内容も含まれた話題について書くのは、短期的にはモノづくり側の人間にとってマイナスかもしれません。私自身、モノは気に入っていても製作者の発信が気に食わなくてモヤったことが何度もあります。なので自重しなければと思いつつ、自分のモノづくりのフィールドである釣り業界に対して無関心でもいられません。また、SNSでいずれ流されていくような字数制限下の呟きで語るのは、ちょっと卑怯かな?あまりに無意味かな?とも思います。なので見たくない人には恐縮ですが、今思うことをとりとめもなく書きたいと思います。
Part.1は基本的な考えについて。Part.2は具体的な取り組みの提言について。お前のお気持ちなぞどうでもいい、という方は下記のPart.2からご覧ください。
キッカケ
キッカケは最近のX。もう何度目だろう…というブラックバスを中心とした外来魚問題での議論が起こったこと。そしてその後に、モンスターキスの小塚さんが投稿したこのポストです。
モンスターキス及び小塚さんの存在は、私が積極的に継ぎ竿パックロッドをやらない理由にもなっています。モンスターキスと同じ方向で、それ以上の性能や思想を打ち出せた竿は未だ存在しないと思っていて、自分もその方向がほしければモンスターキスを買うだけ。いつも学ぶ側。そんな存在です。
それはそれとしてこのポスト。怖いもの知らずな氏らしく多分に”釣り”要素を含んだポストではありますが、私は釣りという趣味の根本的な課題、構造的な矛盾についてモノを売る側から切り込んだ痛烈なメッセージだと捉えました。
釣りは自己矛盾を孕んだ野蛮でアウトローな、しかし愛すべき趣味
先に弁明しておきますが、私は釣りという趣味が大好きです。釣りによって出会えた素晴らしい方々もおりますし、釣りによって人生の辛い時を乗り越えてこれました。釣りだけでなく、生き物としての魚、釣り竿という道具、そういった釣りに関わる各要素も大変面白いものばかりで、いつまでも飽きないだろうなと思っています。素晴らしい趣味です。しかし同時に、釣りには永遠に理解されないであろう矛盾が存在していることも常々感じています。
基本的に公共財産である自然のフィールドに土足で踏み入り、そこの有限な資源である魚、1つの命である魚を騙して針を刺し、水中から引き抜いて喜びの声を上げ、魚に対し「ありがとう」などと言って逃がしたり食べたりして消費する。場合によっては公共財産どころか他者の所有物である溜め池や漁港で堂々とそれを行い、我が物顔で帰っていく。炎上していた日本のブラックバス釣りに至っては、外来魚の拡散に加担し(あるいは拡散を阻止できず)、生態系に大なり小なり影響を与えたまま趣味を成立させている。そして一部の行いではあるにしろ、ゴミ問題や駐車問題まで引き起こす。包み隠さずに言えば、釣りとは極めて野蛮でアウトローな営みです。それでいて特に生産性があるわけでもなく、スーパーで買えば済む魚に対し湯水の如く金を注ぎ込んで、家族からは死んだ魚のような白い目で見られます。興味のない人から見たら、はた迷惑なサイコパスでしかありません。
もちろん私も釣り人です。命を使った遊びだからこそ敬意をもって接すること、それゆえの感謝やリリースという文化的側面、自然やその保全に関心を持てる教育的側面、競技としても成立し得るゲーム性、そういった面に理解はあります。人間が活動する以上、周囲には何らかの負荷がかかりますので、迷惑なのは釣りだけではないでしょう。それでも、釣りは他者から極めて理解を得にくい趣味であり、また自然資源を強烈に消費していることに自覚的であるべきだと思います。
先の小塚さんのポストに対し、頑張っている業界人に対する敬意の不足、前向きな活動を行うには一定以上の規模が必要なこと、あとはお前も釣具メーカーだろwといった批判や反論が見られました。氏が”釣り”を仕掛けていたので、まぁそういった炎上はするよなと思いつつ、提起された問題はそこではないと解釈しています。
釣り業界、特に日本の釣り業界が抱える構造的矛盾。それは、環境収容力に限りがあり、釣り人口が増えればそれを賄いきれないこと。そして、既に現状の仕組みではキャパオーバーであることです。
釣り業界の発展、豊かな釣り文化、釣りによる自然保護への関心醸成etc. そういったものを業界が実現し続けようと思っても、自然はもうそれを受け止め切れません。収容力自体も、減らしこそすれ増やすことはほぼ出来ていないといっていいでしょう。
ちょうど今回のXでの賑わいと時を同じくして、私が大好きなマンガ「湾岸ミッドナイト」が再注目されて、全話無料公開がなされました。同マンガは、ファンからポエムと呼ばれる数々の名言が魅力の一つです。登場人物たちは、自分たちが行う狂気的な改造車製作や暴走行為に対し、反社会的行為であることを自覚しています。しかしその行為の魅力に取り憑かれながら、非合法の世界で生き抜くためのルールや精神性を見出し、それでも去る者、それでも続ける者とを描き出しています。
釣りは非合法とまでは言えませんが、ともすれば反社会的行為にはなり得るものです。釣り場に立つこと自体、多くの場面で地権者や地域の”許し”によって成り立っています。バスフィッシングに至っては、既に一部では非合法に片足を突っ込んでいます。
私の釣りのルーツはバスフィッシングです。第二次バスブーム世代ど真ん中で、小坊中坊の頃はコロコロコミックに踊らされてブームの遊びに片っ端から手を出しました。ハイパーヨーヨーは不器用ゆえスーパーレベル止まりで飽き、ミニ四駆はジャパンカップにエントリーする程度にはハマったものの中学で卒業。でもバス釣りだけは、周りが離れても緩く長く続けてきました。
物心ついた時には地元のほとんどの水系にバスがいました。外来魚や生物多様性という言葉は当時まだ浸透しておらず、テレビでもカッコよくバス釣りが紹介されていました。バスがいる水辺は、私にとっては原風景です。ミラクルジムは本当に憧れの存在で、ショーケースの中のメタニウムXTやアンタレスは、先輩に貸してもらったエロ本の何倍も胸を高鳴らせてくれました。釣り雑誌を読むようになると、今江克隆、田辺哲男、ラリーニクソン、加藤誠司、小野俊郎といったプロの存在とハイレベルな戦略性を知り、村上晴彦とハートランドという感性に触れ、トップウォーター系メーカーの自由奔放さとオールドタックルの魅力に刺激されました。
社会人になってしばらく離れていた時期はあり、復帰後はバスに限らず何でも釣る多魚種アングラーになりましたが、今でもやっぱりバスは面白いです。

一方で、当時のようには楽しめません。バスという魚を取り巻く課題について知りませんでした。釣りブームが、地域や自然の多大な負担によって成り立っていることに気づきませんでした。今はそれらを知ってしまっています。それでもバスに限らず釣りはやっぱり面白いし、アウトローな匂いすらも魅力の一つであると感じている自分に、大変愚かながら気づいています。なので個人的には、今更昔のように楽しむ権利があるとは思っていません。今後世の中がバス及びバス釣りの撲滅に動くなら、受け入れる覚悟は決めています。
生物多様性とは何か、在来生物を脅かしているのは誰か、バスを拡散したのは誰か、そういった事はここでは議論しません。ただ少なくとも、そういった事に対しバスアングラー側の理屈を並べても世間には理解されませんし、そもそもバスに限らず、釣り全体が資源的に持続可能な状態ではないことを認める必要があります。
ではどうするか
またしても言い訳になりますが、結果は行動によってのみ変わりますので、ここで私が何をお気持ち表明しようと結果には貢献しません。ただSNSでの刹那的な炎上よりは、基本情報や論説として残しておくことの意義はありそうです。小塚氏のポストも、決して何もしないという意味ではなく、未来に向けた議論や行動のための提言・立場表明だと解釈しました。そして、残りの人生において自分はどう考え、どう行動していくか。その整理のために具体的な提言を書こうと思います。※時々しれっとアップデートします。
長くなりましたので、続きは次の投稿で。